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古澤巌の気まぐれ通信20200223

オケとは普段やらないので、コメントは無し。けれど大フィルは、上手いと思う。シンバルのタイミングがいい。「古澤君来るから。」ベースも特別なトップが来ている。 朝比奈親方が育てた大阪フィルハーモニー。確か朝比奈さんは慶応サッカー部出?関東+関西両方の大震災を経験。 4年程の都響時代(88-91?)数々の世界の指揮者が来た。感じていたのは、誰も音楽を「教えて」くれない。放置。言ってもしょうが無いからなのか、コミュニケーションがわからないのか、まあ、大友直人の本に有るように、極東に興味が無いのか…。当時都響は、都内の11有ったオーケストラの中でも後発で、半分アマチュアの寄せ集め。あの時代の少し前に良く行われていた学校の「音楽鑑賞教室用」の東京都の部隊だった。大学生の時、ベルリンフィルのコンサートマスターに安永さんが日本人で初めて就任した新聞記事が出た日に、たまたまレッスンの日で。「君まさかオーケストラとかやらないよね?そのために教えてるんじゃないから。」といきなり先生が言い放ち面食らったのをいつまでも高嶋ちさ子みたいに覚えている。なのに都響の88,89年頃の世界ツアー+中国公演のコンサートマスターとソリストとして「契約」した。28才初仕事。それまでバイトで繋いだプータロー。実は5回位はお断りした。ソリストはオーケストラと両立は出来ない。あてもないのにソリストの夢を捨てきれない…。日本中のソリスト達に打診したらしく、全てに断られたらしい。まあ、そうだろう。 で、「古澤君、もう君が契約書作ってくれ。」となり。仕方なくお引き受けした次第。86年に葉加瀬とバンドを結成していて、87年3月に第1回「ヴァイオリンの夜」を上野の文化会館小ホールで開催。バンドなのにピアノ高橋悠治。贅沢ぅ~。大手のマネジメントが仕切って、売ったチケットが2枚。残りの600枚は、母が売った。母に売らせる訳にはいかない…仙川の学生街の喫茶「アンカーヒア」がファンクラブを始めてくれて、この一件から、マネジメントに所属しなくなったのでマネージャーがいなくなった。 書きながら思い出した。陛下がいらしていた。昔の浩宮様。SPで2列使った記憶が。乃木坂カフェグレコの西田さんがスポンサーでFM東京で番組も放送してくれた。後にも先にも、あんな熱狂の公演は無い程。トークは吐き気がするほど下手だった。 3月にはバンド、秋にはオーケストラを買って実験。つまり、完全帰国して87年は2本の公演のみだった。 当時、バイオリン+ピアノの「リサイタル」の内容は、ソナタ、ソナタ、休暇、ソナタ。皆、同じ曲を弾いて。そりゃそうだ、クラシックのバイオリンソナタなんて数が限られている。「うばい合えば足らぬ わけあえばあまる」なんてまだ当時は、「みつを」もまだ生きてたし知らない。なにも自分がそこに参戦する気も無く、誰も弾かない小品とバンドだけのステージだけをすると決めていた。って自分が勝手にそう決めただけで。リサイタルの依頼が有ると「ヴァイオリンの夜」を勧め。ことごとく断られ。それなので自分でやった2本だけ。88年はそれが4本に増えてくれた。89年は8本に。「目の前の饅頭は食べるな。断れ。」西田さんの教え。74才で熱海に眠っているからあの乃木坂のカフェはもう無い。黒柳徹子さんがよくいらしていた。 そんな中、降って湧いた都響の話。そんな訳で、実はそんなに忙しくもないけれど、バンド公演がありまして、と、月にたった1回のコンサートマスター+年6回ソリストの契約書が通り。年1千万近くくれると言うのでそんなにいらないと言ったら、「規則ですので。」。後に石原元都知事が都響を潰しにかかったのも肯ける…。早い段階で、名古屋フィルに内定していた矢部を口説きに口説き。無理矢理都響へ。ところが都響は矢部を知らないし、価値も分からず。いいから取っとけと強引に。今や日本のオケを牽引する重鎮。(実はこの頃には、他のオケも都響のソロ・コンサートマスターを真似て、ソリストが一気に契約していた。)で、月1でオケに遊びに行ってたら、「年に30回出るか?辞めるか?」となり。お金いらないから月1来ていいか?と聞いたら「ダメ。」と公務員的な対応。仕方なく燕尾服を脱いだ。在響時代、ずいぶん外国の指揮者と話をした。後にも先にもヨーヨーマとブラームスのドッペルコンチェルトやったなんて、ソリスト契約があったから。 そんな中、朝比奈さんが都響に来た。朝比奈親方は厳しい。ゴリゴリ上から命令してくる。「軍隊じゃあるまいし。」団員がブツブツ言っているが言われて当然。初めて教えてくれる指揮者が来た! 晩年はあがめ奉ったくせに、あの頃はまだ日本中朝比奈さんを否定していて。もちろん自分は初めて出会った。曲はブルックナーの8番…。 「そんな事言うと皆に軽蔑されるよ?」当時いつも一緒にいた大野和士が言った.自分が何を感じたか? そこに神や仏を見た。都響に来て、よかった。チェリビダッケすらひれ伏すだろうブルックナーが、そこに!日本人として誇りに思う。ブルックナーも喜んでいるに決まってる。朝比奈隆の思い出。 とは言え、ベートーベンのコンチェルトを誘われ、どうしてもやりたくなくて朝比奈先生に辞退したくてアポを取り。その前の晩、神戸行き最終に乗り遅れ、次の朝。?列車が。1995年1月17日…。

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