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古澤巌の気まぐれ通信20190622

88年からの都響時代、下っ端の指揮者要員として、一緒にいた同級生の大野和士。クライバーやパタネのグルーブ感を教えてくれたのは、唯一彼だった。インテリで、ませていて、自分が何も知らない子供のようだった。86年頃のザルツブルクの音楽院では、まだアーノンクールが、ヴェーグ(カメラータ・アカデミカの指揮者)の隣の部屋で授業をしていた。ザルツブルク音楽祭ではカラヤンが絶対王者に君臨していたが、ザルツに住んでいたらしいクライバーは、変わり者扱いされながらも、はるか彼方に燦然と輝くレジェンドだった。彼自身、父親のエーリッヒには遠く及ばないと謙遜していた。生クライバーを見れたのは一度だけ。日本でスカラ座の「ボエーム」。衝撃の、それは夢のような音だった。何でも無い、たった8小節のメロディが。とろけた。音楽の魔法使い。まだ中身が子供の自分には、いったい、なんでこうなるのか全く理解出来ない感動。ただ、見ているだけではわからない。学生オケなのにバーンスタインやチェリビダッケと何度も共に演奏出来た体感は大きい。

音楽とは正にこう有るべき、と教えてくれた大野和士。世界中を制服し、今は都響の帝王となった。因みに、大野君の奥さんの兄貴が上原のディレクトコーヒー。

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